「役に立つのか」について

Kumaです。

「それって何の役に立つの」について書きましょう。

発端は、佐野さんの下記記事であります。

taketo1024.hateblo.jp

それを受けて、nkjmさんも私見を綴っています。

frasco-shaking-ny.hatenablog.com

 

基本的にお二人の意見はかなり納得できるものであると感じています。

+αで、僕の価値観も書いておきたいと思います。

 

ざっくり言うと、

①「役に立つのかどうかを知るためには、まず理解が必要」

ということと

②「役に立つのかどうかを考えるのがあなたの仕事です」

ということです。

 

①については、私自身の経験も関係しています。
大学一年の頃に、ちゃんと物理数学をやりたくて集合位相入門(松坂先生)を読んでいて、某LIVEで配信もしていました。
そのときに、視聴者の方から(割りと頻繁に)
「工学部なのにそんな数学やっても意味ないよ」
と言われました。結局、意味があるかないかは気にせずに勉強した結果として
集合・位相の知識は抽象ベクトル空間、ひいてはヒルベルト空間の理解にも役に立ち、
微分方程式論や量子力学など研究の上で必須と言って良い分野の理解に大いに役立ちました。(定義を知っているだけでだいぶ違うものです)
しかし、集合・位相を学ばなかったとしたら、仮に量子力学の学習の過程で行き詰ったとしても、”それ”=”数学の知識”が”つまずきの原因であることにすら”気づけなかったと思います。
知っていたから、それを役に立てられたのだと思います。
「バカとハサミも使い方を知らない人に、”バカとハサミの使いよう”は分からない」
私はそう思っています。

②については、私の敬愛する物理学者の一言を引用します。

 ファラデーが塩素につきて講演したとき、結末の所で言ったのに、
「新しい発見の事を聞くと、それは何の用に立つかと、すぐにきく癖の人がある。フランクリンはかような人には嬰児は何の用に立つのかと反問したそうだが
余はこれを用に立つようにしてくれと答えたい。
始めて塩素をシールが発見した時には、実用にならなかったので、いわば嬰児であった。しかしこの嬰児が大きくなって、力づいてからは、今日立派に実用になっているではないか。」

 つまり、ファラデーは嬰児を作ることに尽力したので育てて実用にするのは他人に頼んだ訳である

愛知敬一 ファラデーの伝 電気学の泰斗  より


私の価値観で言えることはこの2つだけです。

 

Best,

dp/dt.