光の偏波とパウリ行列の関係

この記事は日曜数学アドベントカレンダーの12/16ぶんです。
adventar.org


こんにちは。Kumaです。
この記事ではいよいよ「光の偏波」と「パウリ行列」の関係をみます。

光の偏波を記述するためのフレームとして
射影演算子とパウリ行列がとても自然であることを示します。

エルミート行列のパウリ行列展開

2x2エルミート行列 Hは、パウリ行列 \sigma_{1}, \sigma_{2}, \sigma_{3}単位行列  I の結合で書くことができます。

H = \frac{1}{2} ( h_{0}I + h_{1}\sigma_{1} + h_{2}\sigma_{2} + h_{3}\sigma_{3} )
ここで  h_{0}, h_{1}, h_{2}, h_{3} すべて実数であって次の式を満たします。
 h_{0} = trace(IH), h_{1} = trace(\sigma_{1}H), h_{2} = trace(\sigma_{2}H), h_{3} = trace(\sigma_{3}H)

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エルミート演算子のパウリ行列展開
これは以前の記事で証明しています。
electrodynamics.hatenablog.com

他方、二成分の複素ベクトル \psi


\psi =
\begin{pmatrix}
 \alpha \\
 \beta
\end{pmatrix}

に対して


\psi \otimes \psi

=

\begin{pmatrix}
 \alpha \alpha^{\star} & \alpha \beta^{\star} \\
 \beta \alpha^{\star} & \beta \beta^{\star}

\end{pmatrix}
は射影演算子といいます。
\psi \otimes \psi | \psi >< \psi |と書くこともあります。
射影演算子は明らかにエルミート行列なので、パウリ行列展開が可能です。

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射影演算子の展開

射影演算子のパウリ行列展開の係数(”成分”)の性質

さらに射影演算子のパウリ行列展開における係数(”成分”)である実数 \psi_{0,1,2,3}を考えます。
ここで \psiのノルム |\alpha|^{2}+|\beta|^{2}=1であるとします。すると \psi_{0} = 1 \psiによらず成り立つ*1ので
 \psi_{0}は定数です。自由度ではないので無視しましょう。
結局、射影演算子を考えることでノルム1の2成分複素ベクトル \psi は 実数のベクトル
 \vec{\psi}
=

\begin{pmatrix}
 \psi_{1} \\
 \psi_{2} \\
 \psi_{3} \\
\end{pmatrix}
に対応しました。
さらにこれらは独立ではありません。
それを確認するために、成分表示を定義から求めてみると

 \psi_{1} = |\alpha|^{2} - |\beta|^{2} \\
 \psi_{2} = \alpha^{\star}\beta + \beta^{ \star}\alpha = 2Re[\alpha \beta^{\star} ] \\
 \psi_{3} = -j(\alpha^{\star}\beta -\beta^{ \star}\alpha) = -2Im[\alpha \beta^{\star} ] \\
となります。上記からも
 \psi_{1}^{2}+\psi_{2}^{2}+\psi_{3}^{2} = 1 という関係式を満たすことがわかります。
すなわち、  \vec{\psi} は三次元空間における半径1の球面と1:1に対応します。

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射影演算子の”座標成分”の球面表示

複素ベクトルのユニタリ変換

二成分複素ベクトルに戻って、 \psiのユニタリ変換を考えてみましょう。
ユニタリ変換とは、内積を保つ変換です。2つのベクトルの成す角度を変えないような変換であり、直感的には”回転”と思えます。
これは \vec{\psi}の世界ではどのように表現されるでしょうか。
ユニタリ変換は行列でかけます。一般には複素行列ですが簡単のために実数のものを取ってきましょう。
”回転”というイメージからもわかるように、次のものはユニタリ変換の一種です。

 U(\theta) =

\begin{pmatrix}
 cos\theta & -sin\theta \\
 sin\theta & cos\theta
\end{pmatrix}

これを \psiに作用させると、

 \psi^{\prime}
=
 U(\theta) \psi
=
\begin{pmatrix}
 \alpha cos\theta  -\beta sin\theta \\
 \alpha sin\theta + \beta cos\theta
\end{pmatrix}

となります。射影演算子の成分表示を求めると

 \psi_{1}^{\prime} = (|\alpha|^{2}-|\beta|^{2})cos2\theta -2Re[\alpha \beta^{\star}]sin2\theta \\
 \psi_{2}^{\prime} = (|\alpha|^{2}-|\beta|^{2})sin2\theta +2Re[\alpha \beta^{\star}]cos2\theta \\
 \psi_{3}^{\prime} = -2Im[\alpha \beta^{\star}]
となります。ここで倍角の公式を使っています。
これはよくみると、

\begin{pmatrix}
 \psi_{1}^{\prime} \\
 \psi_{2}^{\prime} \\
 \psi_{3}^{\prime} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
 cos2\theta & -sin2\theta & 0 \\
 sin2\theta & cos2\theta & 0 \\
 0 & 0 & 1
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
 \psi_{1}\\
 \psi_{2} \\
 \psi_{3}\\
\end{pmatrix}
とかけます。

R_{z}(2\theta)
=
\begin{pmatrix}
 cos2\theta & -sin2\theta & 0 \\
 sin2\theta & cos2\theta & 0 \\
 0 & 0 & 1
\end{pmatrix}
は三次元幾何においてz軸まわりの回転操作に相当します。
すなわち

 \psi^{\prime}
=
 U(\theta) \psi
という変換を考えたときに対応する \vec{\psi}

 \vec{\psi}^{\prime}
=
 R_{z}(2\theta) \vec{\psi}
と移されます。

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複素ベクトルと実数ベクトルの対応
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奇妙なことが起こっている

実数ベクトルの世界では回転が2倍になってみえているようでした。
すると、実数ベクトルの世界で一周、すなわち 2\pi回転したときに複素ベクトルの世界では \piしか回転していないわけです。
つまりある1つの実数ベクトルに対応する複素ベクトルは2つ存在することになります。
( \psi U(\pi) \psi が同じ実数ベクトル  \vec{\psi} を与えるという意味です。)

このような2:1の回転の関係にあるようなものをスピノール(Spin-or)といいます。
名前の由来は後で説明します。

こんなへんてこな対応を持っている世界を考えてなにかいいことがあるのでしょうか・・・

光の偏波との関係

その”へんてこな対応の世界”を実際にお見せします。
それこそが光の偏波状態といわれる概念です。
electrodynamics.hatenablog.com
偏光 - Wikipedia

以前の記事では時間依存性を sin(\omega t)で書いていますが、オイラーの公式から e^{j \omega t}と書いても構いません。
すると光のベクトル表現は

e
=
\begin{pmatrix}
 e_{x}e^{j \omega t + \delta_{x}} \\
 e_{y}e^{j \omega t + \delta_{y}}
\end{pmatrix}
とかけます。光の偏波状態とはtを媒介変数とみたときのベクトル eの軌跡(直線、円、楕円)のことでした。
偏波状態に着目するのであれば、振幅 e_{x}, e_{y}の比だけに意味があり、位相 \delta_{x}, \delta_{y}の差だけに意味があります。
(軌跡自体の”大きさ”や”始点”には興味がないからです)
そこで、 e_{x}^{2} + e_{y}^{2} = 1としても一般性を失いません。*2
さらに e^{j \omega t}は省略して書くことにしましょう。
すると、偏波状態は以下の手続きで書けます。
まずノルム1の二成分複素ベクトル eを考えて

e
=
\begin{pmatrix}
 \alpha \\
 \beta
\end{pmatrix}
とします。これは光学の分野ではJonesベクトルと呼ばれます。*3
ジョーンズ計算法 - Wikipedia

更に

e^{\dagger}e
:=
\begin{pmatrix}
 \alpha\alpha^{\star} & \alpha\beta^{\star} \\
 \alpha^{\star}\beta & \beta\beta^{\star} 
\end{pmatrix}
という行列を作ります。この行列の嬉しい点は、 eに任意の位相回転を与えても、それが複素共役でキャンセルされて
影響しないことです。すなわち”位相差にだけ着目したい”という偏波状態の要請を自然に満たします。
この行列をウォルフのコヒーレンシー行列といいます。

我々はこれとそっくり同じものを知っています。
そう、コヒーレンシー行列とは光のベクトルからできる射影演算子です!

射影演算子であれば、パウリ行列展開を考えることで実数のベクトルに対応させることができます。
それは、光学の世界ではStokesベクトルと呼ばれています。*4
その定義は

 \vec{S}
:=
\begin{pmatrix}
 S_{1} \\
 S_{2} \\
 S_{3} 
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
 |\alpha|^{2} - |\beta|^{2} \\
 \alpha^{\star}\beta + \beta^{ \star}\alpha\\
 -j(\alpha^{\star}\beta -\beta^{ \star}\alpha)
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
 |\alpha|^{2} - |\beta|^{2} \\
 2Re[\alpha \beta^{\star} ] \\
 -2Im[\alpha \beta^{\star} ] 
\end{pmatrix}

です。
Stokes parameters - Wikipedia
(Representations in fixed bases など)

確かに射影演算子のパウリ行列展開からできる実数ベクトルと全く同じですね!


\vec{\psi}
=
\begin{pmatrix}
 |\alpha|^{2} - |\beta|^{2} \\
2Re[\alpha \beta^{\star} ] \\
 -2Im[\alpha \beta^{\star} ] 
\end{pmatrix}

これが球面と1:1対応することもすでにみました。
この球面は光学の世界ではポアンカレと呼ばれています!

ちなみに  U(\theta)の作用の物理的な意味としては、例えば

  • 光の測定器のほうを \theta 回してから測定する
  • xに対してy方向だけに位相差を与える

に相当します。
後者の操作は異方性を有する物体を通すことで可能です。異方性の物体中ではx方向とy方向で光の速度が異なり、位相差が生まれます。

これで、すべてが繋がってきました。光の偏波状態を書くものとしては光のベクトルそのものを考えるよりも
射影演算子を考えるべきで、それはパウリ行列展開という道具を介して実数のベクトルと球面座標でかけるのです。
これをJonesベクトル、コヒーレンシー行列、Stokesベクトル、ポアンカレ球などと呼ぶわけです。

しかし、複素ベクトル⇔実ベクトル対応は1つ難点があるのでした。それは2:1対応だということです。
つまり、 e U(\pi) eは同じ偏波状態(コヒーレンシー行列)を与え、もちろんStokesベクトルも同じになるのです。
偏波の場合、これは何を意味するのでしょうか?
以下の図をみるとわかります。

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π回転ぶんの偏波状態の不定

Jonesベクトルが \pi回転すると正負がひっくり返ります。しかしこれは振動の初期位相が \piずれることと同じです。
すなわち、偏波状態としては変わらないのです。(偏波状態は軌跡=曲線のことで、その開始位置はどうでもよいのです)
だから \psi U(\pi) \psi はその偏波状態を考えるときには同一視するべきで、2:1対応が自然になるのです。
逆に、 \pi回転以外は描く直線の角度自体が変わってしまうので偏波状態としても異なります。

なぜスピノールというのか

量子力学をご存知でしょうか。
量子力学では、粒子の状態は複素数で表され、実際に測定できるのはその絶対値のみです。
電子のスピンと呼ばれる状態も考慮したい場合、状態は2成分の複素数に拡張されます。
実際に測定できるのはその絶対値のみであり、かつ確率解釈するためにはそのノルムは1でなければなりません。
そして、絶対値のみを測定できるということは位相回転 e^{j\theta}は物理に影響しない(扱う上で無視したい)ということです。
・・・・なんだか、我々はこれを記述するのに便利そうなものをつい最近みた気がしました。
そう!射影演算子とパウリ行列展開、そしてスピノールです!
詳細はEMANさんのサイトなどを読み進めると参考になるでしょう。
EMANの物理学・物理数学・SU(2)

ピノール(Spin-or)は電子のスピンを記述する言語でもあることから、その名前がついたというわけです。

実数三次元世界で \theta回すと二成分複素ベクトルで表されるスピノールは \frac{\theta}{2}回ります。(これらは射影演算子を介してつながっています)
実数三次元世界でぐるっと一周してきても、スピノールはまだ半周しかしていない。
つまり最初と異なったスピンの状態(正負反転)になっているのです。
しかし量子力学において、我々は絶対値しか測定できないので正負の符号は物理的には区別できないのです!
(1週回ってきてからスピンを測定しても何事も起きていないように見える)
自然はスピノールの存在を”うまいこと隠してきた”に思えます。

なぜいま偏波

偏波とパウリ行列が実は思いの外、相性がいいということがわかりました。
偏波というのは実は我々が意識せずに使っています。いま、この瞬間も。
それは、光通信です。

我々はふだん意識せずに通信回線を使っています。
そのような通信回線は、長距離(数十~数百km)を伝送するために必ず光ファイバを経由しています。*5

そして、現在の光ファイバ通信技術は大きく2つの技術で支えられています。

  • コヒーレント:光の振幅と位相をコントロールして任意の情報を表現させる技術です
  • 偏波多重:直交する偏波2つに異なる情報を載せて伝送する技術です

そう!偏波!ここに偏波が使われているのです!
偏波多重信号を生成したり、それを分離したりするためにはJones表現やStokes表現が必須となっています。
現在でもなおこの応用研究は続いており、例えば情報をStokes空間上に埋め込んで送る方法*6なども出てきています。

まとめ

  • 偏波はいつだってアツイ。
  • 代数の理論から偏波を記述する道具を得た。この方法ならパウリ行列を3つのみならず増やすことでもっと高次元の”偏波”も考えられる!*7

それでは!!
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*1:過去記事参照

*2:これはエネルギーを規格化したことに相当します。更にエネルギー保存系を考える限りは、これはどんな時刻でも満たされていなければなりません

*3:state vector ともいいます

*4:birefringence vectorともいいます

*5:よく「光ファイバってどこで使われているの?」と聞かれます。 光ファイバを経由しない通信は基本的にはないと思って良いです。無線であっても、最終的には集約されて光へ変換され、光ファイバ伝送となります。無線も光も電磁波ですが、この業界では 光 は100THz級の高周波を指す用語です。特に光ファイバでは193THz程度を使います。

*6:実はStokesベクトルは測定が容易という特徴があります。 S_{1}は強度測定器だけで測定可能で、その他の成分については既知かつ実装が容易な座標変換(偏光板)で S_{2} \rightarrow S_{1}のように変換したあとで S_{1}を測れば得られるからです。そこで、安価な通信にとってはJonesベクトルに情報を埋め込むよりも嬉しいのです

*7:このような研究も存在します。その場合、多くの性質はより複雑な等式を満たします。「数学をやっていたら工学もわかっちゃった」、なんて素晴らしいことでしょう!数学やろうぜ!